私のボロボロのウィングロードはついに壊れてしまった。完全にエンジンがかからないのだ。ラジオもテープも動かなかった。仕方がないので、ラ・・何とかという難しい名の車を購入することとなった。ラジオはちゃんと聞こえる。久しぶりに車の中で音を聞いた。柳田(・・)先生との対談番組だった。どんな内容だったのか記憶にない。けれども記憶に残る先生が3人いると言っていた。一人は小学校の先生だそうだ。午後は毎日読書の時間になったそうです。床に座って円陣を組んで先生の読む本を皆で聞いたそうです。感動的な場面では先生が涙ぐんで読む。そのことがその後の彼の生き方に大きな影響を及ぼしたそうだ。で、今そんなことが学校でできるはずがない。組織が教育するからだ。だれに教えてもらっても同じにするために厳しく共通の指導案のもとに教えられてきた。でもそんなことは心配することはない。私たちは沢山の先生に出会うはずだ。だれでも同じにする必要はどこにもないとと思う。心が育たない限り教育は成功しないとひとり思っている。随分昔のことだが、まだ若い頃のことだ。雪が降った。1時間雪合戦をやった。この1時間で生徒の学力が落ちたなどと私は思わない。1時間よりもっと長い重要な時間が後にあった。
 大学生の時のことだ。5月の気持ちよく晴れた日だった。学生皆で午後の実験は止めてソフトボールをすることにした。授業にやってきた先生はきっと驚いたに違いない。学生は誰もいない。グランドでソフトをしている。見つけて呼びに来た。「実験は日曜日にやるから、この時間はソフトにしませんか。」勝手なことを言ったもんだ。結局は許されなかったけれども、今でも覚えている。彼は研究室に蚊を飼育していて、毎日かわいい蚊に腕の血を差し出していた。今、自分でも蚊と闘って、こいつらの生活を見る時、この先生を思い出している。でも、私は一度も自らの血を差し出したことはない。悪いことに蚊を全滅させることを企てているのだ。
じっちゃんの独り言その4
昨日、博物学者南方熊楠の物語を読みました。日本の世に認められず、失意の中で きっと執拗に日本社会に抵抗した結果が彼の博学だったかもしれないと思いました。海外から名声の波が日本へ津波のように押しよせた。権威に抵抗し、自然の真理だけを武器に生きた。彼にはもはや日本での名声も権威も必要ではなかった。それが日本社会への抵抗だったに違いない。
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